Vol.3 川中大輔・鈴木陵(1)

こんにちは。
シチズンシップ共育企画・事業コーディネーター鈴木です。

教育ファシリテーター講座も、全コースが終了いたしました。
いずれの回も、それぞれに味わい深い場となりました。

しかし!まだまだゲストの対談は今後もアップ予定です。
参加された方は「ああ、あのゲストはこういう考え方をするのか」といった
ふりかえりの参考にご覧ください。

今回は、当会代表・川中と鈴木の対談です。
前半は、それぞれのワークショップとの出会いのお話。
お楽しみください。




(川中)




(鈴木)



ー社会のありかたを考える場づくり、を終えて



川中:この対談の収録は名古屋で行っています。一体、関西を飛び出して何をしていたのか?というあたりから話を始めましょう。今日のワークショップで、ファシリテーターを務めたぱーちゃん(鈴木)の方から説明をしてもらいましょうか。
鈴木:今日は、岐阜県立森林文化アカデミーという学校の「コミュニティデザイン論」(担当教員:川中)の最終講を担当してきました。「コミュニティデザインからソーシャルデザインへ」というテーマの下、4人の受講生と、6月に当会が主催した「ソーシャルデザインワークショップ」の3時間短縮版を実施してきました。
川中:具体的にどんなことをしてきましたか?
鈴木:受講生の方々が、同科目の授業の中で提案したコミュニティデザインの企画を手がかりに「一体どんな考え方や価値観がそうしたコミュニティの問題を起こしているのか?」「社会が良くなるために広げるべき考え方や価値観はどんなものなのか?」といった問いについて考え、最後に「これからの社会のコンセプト」を打ち出した、そんな時間でした。

川中:そうでしたね。私自身は、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科(http://www.rikkyo.ac.jp/sindaigakuin/sd/)に通っていたこともあり、「ソーシャルデザイン」という言葉について、ずっと考えてきました。現在、社会デザインの方向性として現場ではいくつもの言葉が踊っています。例えば「安全・安心のまちづくり」もそうです。しかし、「安全・安心」を掲げていながら、特定の市民の安全・安心にばかり力点がおかれた結果、「よそ者」や単身者、在日外国人を排除したり、監視カメラをつけて、市民間の信頼関係構築を損たりするような事態が起こってしまうなど、社会デザインで語られる方向性には、その根底にあるコンセプトや価値観が十分に鍛えられていないのではないものが少なくないという思いがあったんです。私も市民活動の現場にいますので、「実践」が大事だとは思いますが、実践を下支えしているような「価値観」をぶつけたり、議論できる場がもっとあるべきだと思っていました。そんな思いで6月のワークショップを企画したわけですが、ぱーちゃんがその企画に関わろう、と思ったのはなぜですか?

鈴木:昨年の冬まで国際交流・国際協力支援団体CLUB GEORDIE(http://www.club-geordie.com/)に所属して活動していたことが影響していると思います。 
自分がその活動を始めたきっかけは、「普段何気なく過ごしている日常」と、国際的な問題がつながっている、ということに気づいたからなんです。高校生の頃、岩崎駿介編『地球人として生きる』(岩波ジュニア新書、1989年)という本と出会ったのですが、そこには、著者がスーパーで購入したサバの切り身のエピソードが掲載されています。著者はふとしたきっかけで、自分が手にしたサバがどこからやってきて、誰の手によってそれが収穫され、加工されたのかを考えます。そこで始めて、自分が途上国の労働問題に加担している可能性に気づく、というエピソードでした。
 そんな風に、自分が何も考えずご飯を食べたり、学校に行っているような日常と、色々な問題とが見えにくいけれど実は繋がっている。そういうことについて考えたい!、もっとそういうシステムをどうにかできないのか?と思って活動をしていたので、大きな社会のあり方を考えるこのワークショップに関わりたい、と思ったのだと思います。

川中:なるほど。ぱーちゃんは高校時代にそういう本を読んで、社会の問題と自分との関係に気づく機会があったんですね。しかし恐らく、多くの人は社会の問題と自分の生活がつながっているということにはなかなか気づけないのでは、と思います。
それは、つながりに気づきにくい社会の構造やしくみが出来上がっていて、問題意識に火がつく瞬間が少ないからなのかなぁと思っているんです。自分はたまたま小学校の時に「変わった教育」を受けて、火を灯してもらったわけですが、今では自分が灯す側にまわって、「社会の問題とあなたの生活はこんなかたちでつながってるよ」とか、「つながっているからこそ自分たちで変えられる、動かしていけるんだよ」ということに気づける場面を増やしたいなぁと思っています。その時に、「ワークショップ」という道具を使って場づくりをやっています。



―普段の活動



川中:では、この流れで普段はどんなことをやっているかを教えてもらえますか。
鈴木:今は学生で、シチズンシップ共育企画では事業コーディネーターとして教育ファシリテーター講座、セルフカルチャー・プログラムの担当をしています。川中さんが担当している大学の授業の進行をしたりすることもあります。

川中:いつもありがとうございます。ここで改めて、なぜシチズンシップ共育企画の活動に惹かれたんでしょう?
鈴木:改めて、ですね。(笑)
川中:こんな機会でもなければ、なかなか聴けませんから。(笑)
鈴木:最初に関心を惹かれたのは、シチズンシップ共育企画の主催事業である「ここスタ(高校生NPOインターンシップここからスタート事業)」(現:STEP:高校生対象のサービスラーニングプログラム)ですね。自分自身が国際協力活動に関心を持ち出したとき、周りにそういった関心を共有できる人がいなかったので、もし自分が高校生だったら参加していただろうなぁ、と。また、「もっと世の中が良くならないだろうか」という気持ちや行動する力をつけていく「市民教育」という考え方があるということ自体への驚きと、それを扱う団体があるということが新鮮な発見でした。そこから先は、以前から研修でお世話になっていたので、引き寄せられるように関わっていきましたね。(笑)
川中:そうですね、よく一緒に飲んで、いっぱい語らいましたからね。(笑)

鈴木:ここで川中さんはどういうことを普段されているのか、について触れたいのですが。
川中:普段は「うながす、つなぐ、おしえる」という3つのことをやっていますと説明をすることが多いです。「うながす」というのは、参加型のまなびの場や会議の場をファシリテートしたりする仕事です。具体的には市民活動の力を盛り上げるためのマネジメント研修をやったりしています。最近では、まちづくりワークショップもするようになってきて、昨年は市民参加基本条例づくりのワークショップや、景観ワークショップも担当しましたね。「つなぐ」という仕事では、行政とNPONPOと地域団体がうまく協働(コラボレーション)できるように間に入って仲立ちするようなことを神戸市中心に取り組んでいます。3つ目の「おしえる」ですが、ワークショップの手法などを使いつつ、いくつかの大学で「NGO/NPO論」や「ボランティア入門」、「教育社会学」などの科目の講師をしています。


―「ワークショップ」という場のつくりかたに衝撃を受けた。



鈴木:それでは、「ワークショップ」や「ファシリテーション」との出会いについて聴きたいと思うのですが。
川中:自分は、「ファシリテーション」というよりも「ワークショップ」というほうがインパクトのある言葉だったんです。進行している「人」というよりも、その「場」について感心を持ちました。こんな場のつくりかたがあるんだなぁ、という。みんなが参加して議論して、何かを導き出していくような。

鈴木:それがいつごろですか?

川中:大学1年のときですね。当時、僕が活動していたBrainHumanity(http://www.brainhumanity.or.jp/)の不登校児童向けの家庭教師派遣プロジェクト(HEP)の学生トレーニングを受けた時のことで。人と関わることに臆している子どもと向き合う場面もあるので、家庭教師に行く学生が自分自身の人との関わりを見つめなおす、というコミュニケーション・トレーニングでした。
鈴木:では最初は、コミュニケーション・トレーニングから入った。
川中:そうそう。でも、その頃はどうせ「人の話はこう聴け」「子どもとはこう関われ」とか言われるんやろうなぁ、と思っていたわけです。すると突然「今から3分間、隣の人としゃべってください」と。そこから始まって、ひたすら色んな体験をして、その時、自分はどう感じたのかなどを振り返るわけです。ぜんぜん答えを教えてくれないわけですよ。そのとき、これはとても面白い!と感じたんですね、単純に。
少し話は変わりますが、自分は総合学習に全面的に取り組んでいる小学校に通っていたので、自分で「学び」を獲得していく機会が多く、とても小学校は面白かったんですね。なのに中学・高校と上がっていくにつれて、どんどん勉強するのがおもしろくなくなっていったんです。あんなに楽しかった「学び」がどうしてこんなにつまらないものになっているんだと憤りを持ち続けた青春時代でした。なので、自分で興味関心のあることについては、勝手にレポートをまとめたりして、自分で勉強を楽しむようにしていましたが。そして大学に入って、そのワークショップ。衝撃でしたねぇ。

鈴木:小学校のときの学びと、ワークショップに共通点があった、ということでしょうか。

川中:自分たちが体験や活動をした上で、それについて自分たちで話し合ったり、周りの人から意見をもらったり、また時に自分たちで気づいたことにコメントするような形でレクチャーがあったり。そんな感じは共通していました。「今起こっていたことと、教えてもらった知識がリンクする!」という感覚ですね。当時、僕は先生になりたかったので、教師になった時にワークショップができるようになりたいと思って、色んな場に顔を出すようになったんです。90年代後半で、ファシリテーターになりたいと思っていた方は、かなりレアだったと思います。
 そういう意味では、「ファシリテーターになりたいです!」という方々が出てきているのはすごい変化だと思いますね。

鈴木:なるほど。「ファシリテーション」というよりも「ワークショップ」という場から入ったわけですね。

川中:そうそう。一方で、ぱーちゃんとワークショップとの出会いは?

鈴木:実は、最初に「ワークショップ」という言葉を知ったのはいつなのか覚えていませんです。でも「今思うとあれはワークショップだったなぁ」と思ったのは大学1年のときに参加した開発教育研修でした。開発教育について勉強したいと思って参加したんですけど、そこでやったワークが、ある途上国の農村の家族のロールプレイだったんです。参加者はそれぞれに抱える課題や収入も異なるひとつの家族の代表を演じます。そこに、グローバル企業の社員が、「農地をコーヒー畑にしませんか」と持ちかけてくるわけです。それぞれに買う/買わないの判断を迫られる、というワークでした。

川中:ほう、なるほど。

鈴木:そのとき強く感じたのは、知識や情報としては知っていることでも、自分がそこにいる人の立場になって考えることによって新鮮な発見がある、ということでした。同じグループの中で、頑なに「うちは買いません」という人がいたんです。振り返りのとき、初めて「自分だけが買わないという選択が心細かった」という気持ちになったということをシェアしたんですが、それがすごく印象的でした。そのときは「ワークショップ」という言葉も知りませんでしたが、今思えばそれがワークショップとの出会いだったのかなと。

川中:できごとを自らの腑に落とす、という表現に近い話なのかな。参加体験してみると、知識だけでは気づけない気持ちの部分を実感できたりしますね。その点はコミュニケーション・トレーニングも近い。「無視されるとどういう気持ちになるのか」とかね。日常ではなかなか無視されない。自分が体験すると「じぶんごと」になるからね。

鈴木:自分が感じたことは否定のしようがないというか。
川中:うん。いい場っていうのは、常に「自分だったらどうするのか」が問われると思う。普通の学びの場っていうのは、「自分」を問われることもない。どちらかと言うと「こういうことになっています」とか「○○さんはこう言っています」ということを知るけれど、「自分はどうするか」ということは問われないね。

鈴木:それに関連した話では、これまでの自分の活動の中で、「同じ方向を見ている仲間と議論しながらものごとを決めて進めること」や、「自分はこう思う、というのを伝えて他の人の考えを知る経験」がすごく面白いと思っていました。そういった機会って、「ワークショップ」とは表明していないけど、ある意味…
川中:そうそう、ワークショップだと思うよ。
鈴木:そうなんです。
川中:そう。だから、ワークショップというのはホワイトボードがあって、アイスブレイクがあって、というプログラムされた「いかにも」というものもあれば、日常生活の中で自然とワークショップ「的」なものが起こる、というのはあると思うんですよね。
鈴木:必要なときにファシリテーターという名前がつく、というか。
川中:そうですね。
鈴木:それぞれに、ワークショップとの出会いのストーリーが見えましたね。(笑)

《vol.2へ続く》