Vol.7 神野有希さん・古田雄一さん(2)

アメリカでの生活体験をきっかけに教育に関心を持ち、大学進学後に「わかもの科」の活動を始めた古田くん(ふるてぃー)。一方、学校現場で奮闘する神野さん(ゆうきちゃん)は教育に対してどんな問題意識を持っているのでしょうか?Vol.1に引き続き、Vol.2、お楽しみください!


◉「成長させたい」というより「見ていたい」感覚

神野:ふるてぃーの専門とする教育行政は、学校の先生とはまた違う視点からのアプローチだよね。
古田:そう。それこそ僕が先輩から聞いた「(教育行政は)影響を与えられる子どもの数は多いが、与えられる影響はわずか」という話でいくと、「関わる子どもの数は少ないが、与える影響は大きい学校現場」とは逆。小学校の現場にいると、影響力の大きさを実感することもあるんじゃないかと思うんだけど、実際どう?
神野:確かに感じます。むしろ、自分の与えている影響力の大きさに戸惑います。
古田:なるほど(笑)。
神野:私の場合、自分の欲求は「授業をする」「成長させたい」というより「見ていたい」という感じなんですよね。
川中:「見ていたい」とは、何をですか?
神野:遊んでいるところでもいいのですが、図工や生活の時間など、ものをつくっているのを見るのが結構好きですね。
古田:成長しているのを見守っていたいという感じ?
神野:「あの子は友達のこと、ここまで読み取れるんやなぁ」みたいな面が見られたら、「おもしろいなぁ」と思います。
川中:「その子がいちばん表現されるところ」を見たいという感じでしょうか。「その子から何がでてくるんだろう」と。
神野:そうです。芸術家を見ている感じに近いかも。「その子」が持っているものを言葉で出すのか、粘土で出すのか、計算で出すのか…。それを傍で見ていると、幸せだなぁと感じます。


◉教師の与える「影響力の大きさ」への戸惑い

神野:今担任をしているのは小学校1年生なんですよ。中学校だと科目によって先生が変わるので、他の先生のルールや考え方にも出会っていくと思うんですけど、小学生も特に低学年だと「担任の先生がすべて」という面があります。子どもたちはすごく素直で、それがある意味少し「怖い」と感じることもあります。授業でいわゆる「盛り上がった」場面や、こっちが「言ってほしい」と思ったとおりの発言を子どもがしたときには、「これでいいのかな…」と戸惑うことも。
古田:すごく内省的な部分があるよね。最初に会ったときから感じていたんだけど。そこまで、ある意味自分を批判的に見られることってすごいと感じる。
川中:他の先生に、そういう人は余りいないのではないでしょうか。生徒がねらいどおりの反応を示すと「うまく授業できてよかった!」と喜ぶ人の方が多いのではないでしょうか?
神野:そうかもしれませんね。私は、もともと「今の教育なんとかならないかなぁ」と思って教育学部を選んだので、問題意識というか…。


(神野さん)

◉「きのくに子どもの森学園」で過ごした小学生時代

川中:問題意識と言えば、「こうなったらいいのに」というイメージが別にあったということですか?
神野:難しい質問ですね(笑)。最初はそうだったと思います。
川中:そうした考えを形づくったのは、やはり小中学校を過ごした「きのくに子どもの村学園」の体験が大きいのではないでしょうか?
神野:そうですね。私は「きのくに」が好きだったから(笑)。少し詳しく話をすると、「きのくに」は、いわゆる「総合学習」が基本になっている学校です。小学校は週の半分、中学校も週の3分の1がプロジェクトという総合学習の授業でした。木工をする工務店、おもしろ料理店、道具製作所、歴史館というように、テーマ別にクラスが分かれていて、年度始めに自分で行きたいクラスを友達や大人の顔ぶれややりたいことで決めました。複数の学年が入り交じる完全縦割り型ですね。
川中:プリント学習などは行っていなかったのですか?
神野:教科学習の多くはプロジェクトに埋め込まれていました。プロジェクトの授業では、家を一件建てたりとか、野菜を育てて売ったりとか、羊を飼って育てて毛を刈って衣類を作ったりとかするのですが、その過程に教科学習がありました。小学校では、教科学習として「ことば(言葉)」と「かず(数)」という授業がプロジェクトと別にあるんですが、そこでも、ログハウスの長さを測って来て…というものや、大阪まで実際に皆で行った旅行を例にして目的地まで時速何キロで行ったから何分かかった…といった身近な題材を使っての学びが多かったです。
川中:生活体験に根ざしている感じがしますね。
神野:国語の勉強も基本作文とかでした。フリーディスカッションの時間も多くて、一斉講義形式の授業は中学校ではいくつかありましたが、小学校ではほとんどありませんでした。私は小4から中3までいました。
小林:公立小学校から移ったわけですが、「きのくに」の体験はゆうきちゃんにとってどういうものでしたか?
神野:よく「きのくに」出身だと言うと、この2つを聞かれます。「公立学校からギャップはなかったのか」、もう1つは「きのくにから出た時にどうだったのか」。
川中・古田:まさに今聞こうと思っていました(笑)。
神野:やっぱり(笑)。公立から入ったときのギャップは全然なかったです。あまり前の小学校の記憶がないんです。実家が愛媛で「きのくに」が和歌山なのですが、実家に帰った時にはしっかり関西弁を喋る子どもになっていて(笑)。
川中:よほどフィットしたのですね。
神野:最初はただ楽しかったというのが強いですね。自分の中の考え方の前提は、かなり「きのくに」の影響を受けていて、自分の常識や文化になっていたのだと思います。特に寮生活は自分の中で大きかったです。週5日間、24時間、学年混成の8人一部屋という狭い中で、常に誰かと一緒にいるという環境でした。しかも、お風呂も2つしかないから順番で並んだりとか、テレビも1棟に1つしかないから、チャンネルを争って「もめごと」が起こったりとか。家で生活していたら起こらないことがたくさん起こる環境でした。小学校1年生から中学校3年生まで、それに毎日関わらないといけないから、コミュニケーション能力が鍛えられたと思います。(笑)。
川中:なるほど。


◉「ルールを自分達でつくる」という文化


神野:それから、大きかったのがミーティングの時間です。週に1時間、250〜300人が集まって、話し合う時間がありました。学校のルールを決めたり、「遠足行くので遠足委員募集します!」という提案があったり、お風呂の時間どうするのかとか、犬が捨てられていて学校で飼うかどうかを話し合ったり。事細かに話し合っていました。
川中:それだけ「もめごと」があるから、ルールもそれだけつくる必要があると。
神野:そうです。自分たちでルールをつくっていました。ですから、「民主主義」という言葉を聞くと、そういうイメージが自分の中には強く浮かびます。ゲーム機の盗難事件が起こった後、「ゲームを持って来るのはだめ」というルールができたんです。でも、「たまごっち」がブームになった時、「たまごっち」は放っておくとゲームの中のキャラクターが死んでしまうので「たまごっちはOK」というルールに変わったこともありました。
一同:へぇーすごい!
神野:ただし授業中はしないと決めました。ルールは話し合って決めていい、なくしたければなくしたいと発言していい、だけど一定数の合意がないと変えられない…という前提がすごく自分にありましたね。他にも、きのくにでの経験が自分の考えや常識をつくった部分は多くあります。きのくにの先生達は「学ぶことも楽しいことだ」という感じがあって、クラスは縦割りでも良いじゃんと思っていましたね。勉強も一斉でなくても友達に教えてもらったらできるじゃんと思っていました。


◉ルールの形骸化した高校、ギャップを感じる日々


古田:高校に進学して、ギャップは感じなかった?
神野:そりゃあ、高校に入ってからのギャップはすごかった(笑)。
川中:全て逆ですよね。
神野:まず校則にびっくりして…。今でも覚えているルールが、「靴下の長さが27センチまで」。
古田:それはひょっとして…測るの?
神野:先生が測るの。ルーズソックスが流行した直後だったから。本当に意味がないなと思ったのは、みんな普段ルーズソックス履いているんですよ。服装検査の日だけ普通の靴下履いてくるんです。
古田:ルールはつくるものというより、いかにすり抜けるものなのか…ということだね。
神野:形式だけが整っていて中身が伴っていないのはなぜだと思ったものです。喫茶店に生徒だけでは行ってはいけない、カラオケボックスには生徒だけでは行かないなど…つっこみどころ満載のルールが出てくるのです。実は最初のクラスが始まる時に、「異議申し立てのあるものは挙手」と言われて、挙手したんです。
一同:おおお。
神野:「靴下の長さが27?の理由はなんですか」と言ったらクラスのみんなが「え…?あの子何言ってるん」みたいな目で見てきて、最初はすごくびっくりしました。でも、私は「ルールはこれでいいですか」と言われたときに何も言わずに裏では破るということに対して「なんで?」と思っていました。授業中もメールや手紙交換をしている人を多く見て「授業に来たくない人がなんでここにいるんだろう?」くらいに思っていました。何か行動したり判断したりする時に「みんながやっているかどうか」が判断基準になっているなと思っていました。


◉教育の影響力の「怖さ」を感じて教育大へ


神野:でも周りの友達と放課後に遊んだり話したりすると、一人ひとりがちゃんと考えていました。将来のことや今のことについて、自分の意見は持っているのですが、「なんで学校の中の授業の中では、それを出せないんだろう」と疑問に思ったものです。授業の中でそういう話を出すと、「何なのあいつ」となってしまうのがやるせなくて。授業もホームルームも「その場では何も感じたりしない」というのは教育の影響なのかなと思うようになりました。
川中:なるほど。
神野:その内、大学入試の時期がやってきて、「きのくに」時代から自分自身をふりかえっていたんです。すると服装検査も検査の時だけルールに合わせていたり、授業中も手紙やメールの交換をしていたり、入学当時疑問に思っていた行動をいつの間にか自分も何の違和感もなくしていることに気が付きました。自分も3年間で同化してしまうんだと。3年間の習慣や社会だけでこんなに変わるんだ。教育ってなんて恐ろしいものだ。そう思いました。こんなに人の人格が作られていく上で影響を与えているのだと考えると「先生にはなりたくない」むしろ「日本の教育をなんとかしなくては」みたいなことを思ったのです。それで「教育が図らずも与えている影響」への問題意識で大学に行ってみたんです。
川中:ここで、先ほどの「怖さ」につながるのですね。


◉「学校に多くを求め過ぎている」気づき


古田:「きのくに」に行っていた当時は、その教育スタイルが一番いいと思っていたということだったけど、今でもそう思う?
神野:今はそう思わない。
川中:考えが変わった過程が気になりますね。普通はその考えが強化されていくのではと思うのですが…。
神野:大学に入ったばかりの時は、公教育も「きのくに」みたいになればいいと思っていました。どちらかと言えば、「総合的な学習」の時間が始まった時にうまくいかなかったことも「現場が悪い」と思っていました。考えが変わったきっかけの1つが「きのくに」の卒業生で「きのくに」の教育に批判的な子がいたということでした。もう1つ、大学で「ザ・進学校」出身という子にも出会って、その子が自分の受けてきた教育の詰め込み的な部分も肯定的に見ていたことがありました。そこで「あれ?」と思いました。自分は「きのくに」のスタイルがいいと思っていましたが、それは皆に対して強要できないよなと思って、学校全部が「きのくに」みたいになるのは違うと思うようになりました。この2つの出会いが大きかったです。
川中:なるほど。入ってから周りの人とトーンが逆だったことはありませんか。周りは教育に「希望」を持っている人ばかりだと思うのですが、溝は感じなかったですか?
神野:教育に希望を見出して、がんばろうと思っている人を少し斜めから見ている自分もいて、ずっとそんな自分は「おこがましい」と思っていました。しかし、相手を知らないのに否定するのはおかしいから、学校現場に入ろうと思って学校ボランティアなどをたくさんしたんです。そこで分かったのは、教員になりたい人たちは「すごい皆頑張ってるねんな」ということ。「この子をよくしたい」という思いで一生懸命がんばってるんやなと。そこで、私も含めて色々な人が色々な期待を学校にし過ぎているなと思ったのです。だから、学校が全部カバーするのは無理だなと思うようになりました。学校「だけ」に期待してよくなるならいいけど、そうとも限らないと思いました。
川中:それは大学2年生の頃ですか。
神野:1年ですね。
川中:先生は懸命にやっているにも関わらず、結果としては「意図せざるもの」として(ゆうきちゃんからすれば)違和感あるものになっていることに気付いたのでしょうか。
神野:それがCORE+につながるんです。


◉向き合うのは楽ではないが立ち戻るものとしての「教育」


古田:CORE+には、今も関わってるよね。
川中:今ゆうきちゃんが担当しているのは?
神野:いま担当しているのはEDU☆COLLEです。多様な「教育のカタチ」を一望できる教育のお祭りで、公立学校や塾、フリースクールオルタナティブスクール、教育NPO、企業などが集まって、話を聞けたり、模擬授業やワークショップを体験できたりする場です。
川中:今後も続けていくつもりですか?
神野:CORE+の活動には今後も関わっていくつもりですが、それで「食べていく」ことに強いこだわりはないですね。仕事にしても先のことはあまり明確に考えていなくて。「今を一生懸命がんばろう」という感じに近いと思うんです。
川中:そういう発想の仕方には「生活体験主義」の発想が感じられますが、どうでしょう?
神野:そうかもしれないですね。体験したことを、起こったことを「なんでやろう」と考えますね。
古田:僕は逆に割り切って、前に進んじゃうタイプだと思っていて。結構色々なことを見て見ぬふりをする時もあるから、逆にそうしてじっくり考えられることが、すごいと思う。
川中:先ほど「教育は怖い」と言っていましたよね。しかし、そういう思いも抱きつつ、教育と向かい続けている。それはある意味、負担にならないのですか?
神野:確かに楽ではないですね(笑)。別の分野に関わってみたいという気持ちもありますが、最終的には教育に戻ると思います。そこは変わらないと思います。
古田:将来、学校をつくりたいと言っている友人がいるのだけど、例えばそういうのはどう思うの?自分で理想の教育をできる場所をつくりたいと思う?
神野:あまり思わないかなぁ。
川中:先ほど出てきたように「見ていたい」という感じなんでしょうね。教育NPOをやっている人からしたら珍しいですね。
神野:そうですね。子どもを見て「すげーな」って思ったら「すげーな」って言いたい感じというか(笑)。
川中:「地域のおばちゃん」みたいな感じですか。
神野:そんな感じですね。いつかやりたいなと思うのは、ちっちゃい子から高齢の方までで哲学カフェみたいなのができたらおもしろいなと思います。いろんな世代で集まって話すと、「教育されていないがゆえに出るおもしろさ」みたいなものがあると思っています。


◉「みんなに必要な教育って何だろう」



(古田さん)


神野:ふるてぃーの目指す先は?
古田:大きな社会像を描くとすれば、それぞれの人がそれぞれの人なりに社会に参加していって、みんなで社会をよくしていける。そんな未来を創っていきたいという、大きなイメージがあります。そのために教育から何ができるのか…というところは変わってないですね。すごく果てしないと思うのですが、それは本当に一生涯かかる話だと思っています。学校の先生から研究者から、多くを巻き込まないといけないと思っています。結局それはシティズンシップ教育なんですけど(笑)、「これはやんなきゃな」という使命感のようなものがあります。他にやっている人がいればいいのですが、本当に少ないという危機感。少なくとも今、猛烈に興味を持っていて、すごくモチベーションを感じている。とりあえずこれに向かって走ってみるかという感じです。
川中:今後具体的な「先」のイメージはありますか。
古田:まだわからないです。でも、教育の道で何かできたらと思っています。今のところ、研究の道かなと思っています。研究という立場は現場から離れて冷静にものを言える、いろんな現場の先生のハブになれる立場だと思います。その立場にいつつ、現場とも連携していきたいというのが、自分の中ではしっくりきている形です。ある意味自由に動ける立場で、長い目で見て教育を突き詰めていきたいなという思いもあります。
川中:そこでいう教育は「学校教育」なのですか?
古田:今、僕が主にやりたいのは学校教育です。先ほどの話にもつながりますが、「みんなに必要な教育って何だろう」という議論に関わってくると思うんですよね。その議論にちゃんと入り込んでいきたいという思いもあるし、今は学校教育自体がパワーをもっていると感じるので、そこを避けては通れないだろうと思っています。12年間通う初等中等教育はやはり影響持っており、ちゃんと考えないといけないでしょう。
川中:ふるてぃーが「大研究者」になれば、国家的に政策に影響する可能性もあるわけですよね(笑)。ゆうきちゃんとはまた違う方向性を目指している気がしますが、ゆうきちゃんは今の話を聞いてどう感じていますか?
神野:方向性は確かに違いますね。でも、すごく今の話はおもしろいなぁと思って聞いていました。
川中:一見すると「教育行政」と「教育現場」と教育への関わりは大きく異なる2人ですが、その間には絶妙な共鳴観がありますね。共通しているのは今の日本の学校教育に関して、それぞれにどこか折り合いがつかないものを感じた体験を持ちつつ、「距離感」にこだわりながら関わっているということが言えそうです。今後の活躍がとても楽しみですね。今後とも、どうぞよろしく!


(記事内の所属などはすべて2011年当時のものです)