〈問い〉とは?小林健司さん

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Q:あなたにとって、ワークショップ/ファシリテーションにおける、
  『問い』とは、どういうものですか?
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回答者:小林健司さん


A.

お恥ずかしながらあまりしっかりと考えたことが無かったのですが、
改めて考えると、その場にいる人たちが寄り添う軸のようなもの。
だと思っているんだと思います。
キャンプファイヤーの真ん中にある火のイメージです。
問い、に対して場にいる人たちがそれぞれの位置(視点や考え方)から
それぞれの薪をくべていく(応答をしていく)。
応答をすることで火の色や形も変わるけど、その変化した火を見て
更にそれぞれが考えを深めたり視点を広げたりしていく。
というのが問いなのではないかと思っています。

とはいえ、丁寧に火をつけないとすぐに消えてしまったり、
場に居る人がどう薪をくべていいのかわからず消化不良で終わって
しまったりするので、気をつけねばなりません。

自分がファシリテーターをさせてもらうときは、
最初に思い描いていた火の形と全然ちがうのに、
「こんな色や形もできるんだ」とか「こうなるか〜」という
驚きを最後に味わえると、とっても嬉しくなります。


小林健司(NPO法人日本教育開発協会[JAE])
JAE(NPO法人日本教育開発協会)広報担当兼教育クリエイター。2002年より現団体で教室事業の学習部門の立ち上げに関わり、現在は大阪市内の小中学校と高校、15校(約2000人)に将来の夢や仕事について学ぶキャリア教育を企業などの協力を得ながらプログラムの実施やコーディネートを行う。現在は団体全体の広報や小学校から大学、企業向けの教育プログラムの開発全般に携わっている。

↓2009年に実施したゲスト対談記事はこちら!!↓
「小林健司さん×三浦一郎さん」vol.1

「小林健司さん×三浦一郎さん」vol.2

〈「問い」とは?〉東末真紀さん


こんにちは。
シチズンシップ共育企画の鈴木です!

前回に引き続いて、ゲストミニインタビューの第2回目。

今回は神戸まちづくり研究所の東末真紀さん。

思わず私もどきっとさせられるようなコメントでした。
うーむ、なるほど。。


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Q:あなたにとって、ワークショップ/ファシリテーションにおける、
  『問い』とは、どういうものですか?
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回答者:東末真紀さん

A.

「問い」は互いの、真実に近づきたい、見てみたい、知りたいという十分な動機がないと効果を発しない。

動機がない中での「問い」は、深みに行く時には邪魔になり、凶器にもなりうる。

「問いかた」を考えるのはナンセンスだ。

「問い」はおのずと出てくるもの。


■東末真紀(NPO法人神戸まちづくり研究所)
1971生。NPO法人神戸まちづくり研究所職員、NPO法人マザーサポートの会理事。看護師(神戸市中央市民病院)、NPO法人自然スクールトエック職員を経て神戸まちづくり研究所の職員へ。

自然スクールトエックで培った「主体性の尊重」や「自分と他者、環境、地域社会とのつながり方」を生かして、現在は、NPO支援(運営アドバイス、活動団体立ちあげ、政策提言・仕組みづくりなども含む)、中間支援機能を持つ地域拠点の立ち上げ支援やボランティア・コーディネーターの育成、震災学習・まちづくりの研究企画、運営を行っている。


↓2009年に実施したゲスト対談記事はこちら!!↓

「東末真紀さん×大本晋也さん」vol.1

「東末真紀さん×大本晋也さん」vol.2

〈「問い」とは?〉大本晋也さん


こんにちは!
シチズンシップ共育企画・鈴木です。


さて、先日の記事で告知しました
教育ファシリテーター講座2010。

テーマは〈「問いかけ」をデザインする〉。

今回、そのテーマにちなんで
講座でゲストやファシリテーターを務める5人に
ミニインタビューをおこないました。


その問いかけとは…

「あなたにとって、ワークショップ/ファシリテーションにおける、
 『問い』とは、どういうものですか?」


もう問い、問い、としつこいようですが
その答えも五者五様。

ゲストには、どんな人がやって来るのか。
お楽しみください。


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Q:あなたにとって、ワークショップ/ファシリテーションにおける、
  『問い』とは、どういうものですか?
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回答者:大本晋也さん

A.

「問い」
学校現場における「問い」で代表的なものは授業における教師の
「発問」、そして「テスト」であろうか?
先生が生徒の学習を促進するための「問い」と、
学習到達度を図るための「問い」、
すぐに僕の中にでてくる「問い」とはこの二つである。

ではワークショップという学びの場でファシリテーターから発せられる「問い」はどうか?
学校現場における「問い」とはある面では共通しているし、
ある面では異なっていると僕は思う。
ファシリと教員では何よりも学びの場における立ち位置が違うが、
場の状況によっては、ファシリが敢えて「教師的な問い」を
場に投げかけてみることも必要だろうし、
安全管理等の面から、参加者の学習到達度をみることも必要になってくると思う。

要はファシリが今ここの学びの場をどう見て、どう判断して、
どのような「問い」を投げかけるのか、
そのあたりの場を読むセンスに任されているように思う・・・。

僕は元々教師なので、多分ファシリをやっていても、
まだまだ教師的な「問い」をしてしまっている気がして、
いつも不安になり「これでいいのか?」、「あれは力業だったのでは?」と
自問自答することがよくあります。
今回の講座では、こんなこともみなさんと共有できる学びの場になればと思っています。


■大本晋也(兵庫県教育委員会
兵庫県教育委員会事務局社会教育課主任指導主事兼社会教育係長。1983年県立淡路盲学校勤務を皮切りに、県立高校教員を18年間勤め、その間公民分野でゼミナール形式の授業等も展開。2001年国立淡路青年の家専門職員として3年間勤務。淡路青年の家では高校生演劇ワークショップ、高校・大学・教員のためのボランティアセミナー等の主催事業を担当。淡路青年の家環境教育プログラム集の作成にも携わった。
現在、本業以外に環境フォーラムの実行委員、ESDの大学・高校生長期ボランティア活動プログラムの開発等にも関わっている。趣味の演劇では主に裏方として音響・照明を担当。神戸・加古川の劇団で活動中。


↓2009年に実施したゲスト対談記事はこちら!!↓

「東末真紀さん×大本晋也さん」vol.1

「東末真紀さん×大本晋也さん」vol.2

教育ファシリテーター講座2010「問いかけ」をデザインする!


ご無沙汰しております。

シチズンシップ共育企画の鈴木です。

昨年度、教育ファシリテーター講座2009の開講にあわせて
オープンし、一時更新をお休みしていた本ブログも
教育ファシリテーター講座2010の開講決定(!)とともに
再開いたします!




2010年度のテーマは「問いかけ」のデザイン。

学びの場において、どのような問いを、どのように重ねるか?
プログラムを組み立てるにあたって、
重要になる要素のひとつではないでしょうか。

私も日々奮闘中のテーマです。。

以下、ご案内です。

本ブログでは、昨年度のインタビューの流れを汲み
ゲストのコメントも掲載していく予定ですので
ご期待ください!


(以下、転載歓迎)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
教育ファシリテーター講座2010【ベーシック編】

「問いかけ」をデザインする!
http://d.hatena.ne.jp/kwnk1123/20100420/1271773926
2010年6月5日(土)〜6日(日)

※【アドバンスト編・「あり方」を見つめなおす!】は
2010年8月7日(土)〜9日(月)で開催予定!
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

教育ファシリテーター講座、
今回のテーマは「問いかけのデザイン」。

学びの場のプログラムは、
いくつもの「問いかけ」の積み重ねによって成り立っています。

「どのような問いかけをするか?」
「どのように問いかけを積み重ねるか?」

問いは、場をひらくねらいや意図によって
変化するもの。

それはプログラム上では「少し」の違いかも知れません。

しかし、その「少し」の違いが
参加者の「?」をどんどん増幅してしまったり、
逆に、とても深い学びにつながったりすることが、
多々あるのではないでしょうか。


今回は、その「少し」の違いに注目します。


開かれた場のねらいと、アクティビティはつながっているか?
適切なプログラムの流れが組めているか?

そうした視点を中心に、
参加者が行う「実習」プログラムを
ゲストと共にじっくりとふりかえります。

そうした作業を通じて、
その場に適した「問いかけ」やアクティビティを組み合わせ
ひとつの流れのある「プログラム」を組み立てる力を養います。


プログラム・デザインの力を身につけたい!
よりよい学びの場をつくりだしたい!

そんな皆様のご参加を、心よりお待ちしております。


■日時
2010年6月5日(土)〜6月6日(日)

■会場
大阪市立青少年センター(ココプラザ)
http://www.kokoplaza.net/
新大阪駅徒歩5分)

■参加費(いずれも食費・宿泊費を含む)
20,000円(学生13,000円)

*お申込み後、お申し込みを受理した旨のご連絡(参加要項)をお送りします。
*5月22日以降のキャンセルは、キャンセル料を申し受けます。ご注意ください。
(5/22以降=参加費の50%、講座当日=100%のキャンセル料を申し受けます)
*宿泊されない方は、2,000円安くなります。

■対象
・学校教員や大学教職員、社会教育施設職員、
NPO・ボランティア団体スタッフなどで
ワークショップ形式の学びの場づくりを
行っている人・行なってみたい人
・教員志望者など、ワークショップについて学びたい人
ファシリテーターを職業としていきたい人

※年齢や活動分野(学習分野)などは問いません。
※営利目的のみの仕事をされている方は
参加をお断りすることがあります。予めご了承ください。

■定員
20名

■プログラム
※進行上、途中参加、途中退出はご遠慮ください。

〈1日目〉
12:30 受付
13:00 プログラム開始・オリエンテーション
14:00 ワーク「アクティビティ実習+ふりかえり」
15:00 講義「プログラム・デザインの視点」
15:30 ワーク「私はどのように・どんな問いかけを重ねるか?」
16:30 ワーク「ファシリテーション実習+ふりかえり」
18:00 夕食
19:00 ワーク「ファシリテーション実習+ふりかえり」
21:00 プログラム終了・入浴
22:00 オプショナルPG「情報交換会」

〈2日目〉
09:00 ワーク「ファシリテーション実習+ふりかえり」
11:00 講義「観察眼をどうきたえるか?」
12:00 昼食
13:00 ワーク「ファシリテーション20問20答」
14:00 ワーク「ファシリテーション実習+ふりかえり」
16:00 ワーク「現場への学びのテイクアウト」
17:00 終了

(内容)
・参加者自らテーマを決め、
それに応じたアクティビティやプログラムを組み実践する
「実習」が中心となります。
・ひとつひとつの実習プログラムについて、
参加者同士が丁寧に観察/批評するなかで、
事前に組み立てたプログラムを
場や状況に応じて臨機応変に組み替え、
「問い」を組み立てかえる力を養います。

(アドバンスト編とは何が違うの?)
・アドバンスト編は、ファシリテーターの「ありかた」に
より重点を置いた2泊3日のプログラムです。
ベーシック編よりも少人数で、
実習プログラムでのファシリテーターの行動から、
その人の「ありかた」「かかわり」を明らかにします。
・「実践経験はあるけれど、独学で積み上げたので、
基礎的な部分を学びなおしてみたい」という方や、
「プログラムデザイン」に関心のある方は【ベーシック編】を、
「色々経験は踏んだけど、もう一歩『先』へ行くために、
今の自分の関わりを捉え直したい」という方は【アドバンスト編】を、
それぞれお勧めします。

■ゲスト
○大本晋也(兵庫県教育委員会
兵庫県教育委員会事務局社会教育課主任指導主事兼社会教育係長。1983年県立淡路盲学校勤務を皮切りに、県立高校教員を18年間勤め、その間公民分野でゼミナール形式の授業等も展開。2001年国立淡路青年の家専門職員として3年間勤務。淡路青年の家では高校生演劇ワークショップ、高校・大学・教員のためのボランティアセミナー等の主催事業を担当。淡路青年の家環境教育プログラム集の作成にも携わった。
現在、本業以外に環境フォーラムの実行委員、ESDの大学・高校生長期ボランティア活動プログラムの開発等にも関わっている。趣味の演劇では主に裏方として音響・照明を担当。神戸・加古川の劇団で活動中。

小林健司(NPO法人日本教育開発協会[JAE])
JAE(NPO法人日本教育開発協会)広報担当兼教育クリエイター。2002年より現団体で教室事業の学習部門の立ち上げに関わり、現在は大阪市内の小中学校と高校、15校(約2000人)に将来の夢や仕事について学ぶキャリア教育を企業などの協力を得ながらプログラムの実施やコーディネートを行う。
現在は団体全体の広報や小学校から大学、企業向けの教育プログラムの開発全般に携わっている。

○東末真紀(NPO法人神戸まちづくり研究所)
1971生。NPO法人神戸まちづくり研究所職員、NPO法人マザーサポートの会理事。看護師(神戸市中央市民病院)、NPO法人自然スクールトエック職員を経て神戸まちづくり研究所の職員へ。
自然スクールトエックで培った「主体性の尊重」や「自分と他者、環境、地域社会とのつながり方」を生かして、現在は、NPO支援(運営アドバイス、活動団体立ちあげ、政策提言・仕組みづくりなども含む)、中間支援機能を持つ地域拠点の立ち上げ支援やボランティア・コーディネーターの育成、震災学習・まちづくりの研究企画、運営を行っている。


ファシリテーター
○川中大輔(シチズンシップ共育企画)
98年より野外教育や不登校児童支援の市民活動に参加し、NPO法人BrainHumanity副理事長、A SEED
JAPAN理事、IIHOE[人と組織と地球のための国際研究所]フェロー、(財)大学コンソーシアム京都研究主幹などを歴任。現在はシチズンシップ共育企画代表・ファシリテーター。「学ぶこと」と「社会にかかわること」の両方のおもしろさがわかる「学びのデザイン」について関心を寄せ、ファシリテーターとして活動している。2001年から全国各地で「人材」と「企画」と「会議」を中心とするNPOマネジメント研修や市民教育ワークショップ、行政職員研修等を担当(年間80本程度)。
同志社大学大学院総合政策科学研究科、甲南大学大阪樟蔭女子大学岐阜県立森林文化アカデミー、上智大学グリーフケア研究所で非常勤講師。

○鈴木陵(シチズンシップ共育企画)
関西学院大学総合政策学部卒。高校時代に読んだ本がきっかけで国際協力分野に興味を持ち、大学入学と同時に国際交流・国際協力支援団体CLUB
GEORDIEに所属、2008年度には事務局長を務める。開発教育などの参加型の学びの場との出会いをきっかけに、ワークショップなどの場づくりに関心を寄せている。
シチズンシップ共育企画事業コーディネーターを経て、現在は事務局次長・ファシリテーター。自らもファシリテーターとしての「あり方」と「やり方」を磨くべく修行中。

■主催:シチズンシップ共育企画
http://homepage2.nifty.com/citizenship/

■お申し込み&お問い合わせ先
お申し込みの方は、下記フォームにご記入の上、
事務局へお送りください。
お問い合わせにつきましても、
事務局までメールにてご連絡ください。

事務局メールアドレス(担当:鈴木・川中)
info.pocco@gmail.com

※申込メールの件名には「教育ファシリ講座申込」+お名前を入力してください
※講座の内容についての問い合わせなどもお気軽にお尋ねください。

■申し込みフォーム
※メール件名=教育ファシリ講座申込(名前○○○○○)
送信先:info.pocco@gmail.com

                                                                                                                          • -

・お名前:
・電話番号(遅刻等、緊急用なのでできれば携帯):
・年齢:
・性別:
・メールアドレス:
・ご住所:
・ご所属(活動している団体名):
・所属先での活動内容と自分の役割(100字以内):
・これまでどんな学びの場の進行役をやってきましたか?:
・今回の講座に期待すること:
・6月5日(土)の宿泊:( する ・ しない )
・何を通してこの講座をお知りになりましたか?:
(例:××さんの紹介、○○メールマガジンなど)

学びのデザイン研究会第24回例会にて。

 シチズンシップ共育企画では、関西圏のファシリテーターの経験知を共有しながら、よりよい学び・創造の場が広がることを目指して、「学びのデザイン研究会」を隔月開催しています。第24回例会では、「教育ファシリテーター講座2009を解体する」というお題のもと、本講座の「ふりかえり」を題材に取り上げました(話題提供:鈴木陵、ファシリテーター:川中大輔)。

 テーマは「実習からの学びをどう深めるか?」。今年の本講座では、基礎編・中級編・上級編とコースレベルがあがっていく中で、ふりかえりの方法も大きく変わっていったのですが、そのことが「学び」の質にどう影響したのかを検討しました。

 体験学習の循環過程がきちんとまわるように、「場面場面で何が起こっていたのか?」というプロセスと、みんながしっかり向き合い、そこからの問いを温めていく場をどう創り出すか?ということについて、今回編み出した方法の到達点と課題が明らかになりました。次年度は、より精度の上がったふりかえりができそうです。どうぞお楽しみに!

 なお、学びのデザイン研究会、次回は11月25日(水)の夜。次回は「政策形成への市民参加ワークショップが機能するためには?(仮題)」をテーマに実施します。ご参加希望の方は、シチズンシップ共育企画のウェブサイトよりお問合せください。(かわなか)

 *本ブログは先のエントリーの通り、講座関連情報があった場合を除き、原則「教育ファシリテーター講座2010」が始動するまで更新を停止します。

vol.6 小林健司さん・三浦一郎さん(2)


こんにちは。
教育ファシリテーター講座・コーディネーターの鈴木です。

教育ファシリテーター講座からはや1ヶ月。
このブログのゲスト対談記事も、ついに最終回となりました。
ブログ自体は、今年度の更新はここで一旦ストップとなりますが、当会では来年度も教育ファシリテーター講座を実施予定です。

このブログを読んで関心を持たれた方、ぜひ来年度の教育ファシリテーター講座にお越しください!


さて、最終回の今回は、前回に引き続いて小林健司さん・三浦一郎さんのお二方。
いわゆる「ファシリテーター」のいない、けれど「ファシリテイティブ」な場との出会いの話から、一気に「身体論」にまで話は及びます。


今回も内容盛りだくさん。ぜひお楽しみください!


「ファシリテイティブな場」との出会い


鈴木:それでは「ファシリテーションのどういった部分に関心があるか?」について聞きたいのですが。
小林:「ファシリテーションに興味があるか?」と聞かれると、困ってしまいますね。
鈴木:なるほど、ではそういった参加型の学びの場づくり、といったものとの最初の出会いはどんなものだったんでしょうか?
小林:やっぱり、さっき話したJAEとの出会いは大きかったですね。最初に携わったのが「キッズマート」という事業です。商店街で売っている商品を、子どもたちが原価で仕入れて工夫して売る、といったようなものでした。当時は学校教育での学びしか知らなかったから、子どもたち一人ひとりが考えてお店をつくる、ということが新鮮で。
鈴木:なるほど。
小林:例えば、お店がうまくいっていないときに「もっとこうしたらいいのに」と僕が思っていたとしても、子ども達を集めて「今、外から見たらお店どう見えると思う?」「どうしたらもっとよくなるかな?」とか聞いてみる。そこで子どもたちが「こうしたらいいと思う」という意見が出てきたらそれをやってみる。それが、いわゆる「ファシリテーション」と呼ばれるものとの出会いだったかもしれませんね。



(ワーク中の小林さん)


三浦:健ちゃんが大学時代にそういった場に関心を持った、ということは、それにつながるきっかけがそれ以前にあったということなのかな?
小林:あるとすれば、高校のときの文化祭ですね。文化祭は自分たちで色々決めてやるという最初の経験だったように思います。
三浦:どういうことをやってたの?
小林:学年によって違うんですが、2メートル四方のオブジェみたいなのをつくったり、ステージ発表で30分くらいの演劇をしたり。そこで、プロデューサー的な視点が必要だってことに気づいたりしたんです。「自分たちのやりたいことだけやってちゃだめなんだ」みたいな。
川中;健ちゃんの学校って、お客さんをしっかり集める学校だったの?
小林:いや、そういうわけではなかったんですが、演劇でも何でも評価されるんですよ。そこで1位になれなかった時とかは、「審査員わかってねぇなぁ」みたいな話をみんなでしていて(笑)。でも1位がとれないということは、何か原因があるわけです。すると、「審査員に受けるためには?」みたいなことをちゃんと考えて、ちょっと引いた視点で、改善していくような視点が必要だね、みたいな話をしていて。そういう体験がつながるのかなと思います。

三浦:僕も高校時代は、学園祭で漫才・コントとかやってたよ。吉本興業の「2丁目劇場」をパロって「3丁目劇場」っていうグループ作って。
小林:へーっ!(笑)
三浦:すごい数のお客さんが来てね。僕らは寮生活だったから、3時間の自習時間があったんだけど、その時間内に学園祭に向けての練習時間を勝ちとる交渉とかをしてました。川中さんも、高校時代に学園祭は力入れてたんでしょ?
川中:学園祭?大事大事!
小林:ははは!
川中:こんな内容、記事にしていいのかな…?
三浦:いいんですよ!きっかけの話なんですから。(笑)
川中:僕の高校は、生徒同士の発表大会というよりも、他の学校の子に来てもらってなんぼという感じだったんで、お客さんを集めることがとっても重要だったんです(笑)。当時、友だちに誘われて文化祭執行委員会の本部役員になったんですけど、「どうやってお客さんを集めるのか?どうやって長くいて、色々見てもらうか?」ということを考え続けたんですね。どんなチラシをつくって、どこにまくのか?とか、どこにどの部活の模擬店をおくのか?とかね。たとえば、女子高校生に人気のあるテニス部などの模擬店にはいろんな高校の女の子がくるわけ。そういった人気模擬店で、それまで校舎の外の玄関前に出していたものは、あえて学校の中庭の奥に置いたりしたんです。すると、みんな校舎内を歩き回るから、動線が生まれて、いろいろ見てもらえるんだよね。
三浦:なるほど!(笑)
小林:そこまで考えるのってすごいなぁ。
川中:あとは、保護者さんがよく行くPTAの喫茶店を、水場から少し遠くなるんだけど、あえて奥のほうに移動させたりもしましたね。そしたら「水場から遠いのは困る…」とかPTAから要望が来て、ひともんちゃくあったりしましたけど(笑)。
鈴木:すごいですねぇ・・・。
川中:すると来場者数が上がったり、各店舗の売上の金額が変わったりしたんですね。自分たちが動くことで、ものごとが動いたり、レスポンスが返ってきたりすることを実感しましたね。ファシリテーションとは関係ないけど、そういうプロデュースに関わったことが、「運動」から「活動」に変わっていくきっかけになったんですよ。それまでは、問題だと思うことがあったら、学校でも行政でも、提言などをまとめて抗議し続けていたんですね。でも、文化祭のように、思いを「形」にしていく活動の方がものごとは動くんです。「運動」にも意味はありますし、大事なことも多いのですが、思いを運動にしてしまうと実は伝わりにくくて、「企画」という形にしたほうが伝わりやすくなるんですね。そういう思いをこめて「共育企画」としたんですね。
小林:これもたぶん広義の意味でファシリテーションですよね。
三浦:しかし、何かしらのきっかけが、みんな文化祭にあるっていうのはおもしろいですね。
川中:文化祭、というか「課外活動」なんだよね。
一同:たしかに!
川中:文化祭だったり部活だったり「管理された空間」ではなくて「管理されていない空間」、それは衝突したり模索したり、協同したりするような空間で起こるコミュニケーションのほうが、実は色んな学びが豊かになっているんじゃないかな。たとえ、そこにファシリテーターという人がいなくても、お互いを追求しようとすると、自ずとファシリテイティブなものが生まれていくと思うんだよね。
小林:そう考えると、ファシリテイティブなものとの出会いは、高校の文化祭でしたね。誰かが劇の脚本の原案を持ってきてそれをたたいたりとか、現実的には劇の上では削らないといけない部分が出てきてそれを調整したりとか、変化していく中で企画ができていく経験は大きかったですね。

三浦:今回の教育ファシリテーター講座でも「実習」の時間を組み込んでいますよね。今の話を聞いていると、それぞれの高校時代に「壮大な実習」をやっていたと考えることもできる。研修の中でやるよりも規模が大きくて、利害関係も絡んでいる、すごく難しい実習をやっているわけですよね。
川中:日常生活の中の活動が、ある種のラボラトリーの中で行われている、と言えますね。だから、ラボラトリーメソッドのようなふりかえりを日常の活動の中でするかしないかで、そこでの学びへの気づきは大きく左右されてしまう。
三浦:でもね、そう考えると文化祭の時にふりかえり、してないですよね?(笑)
小林:それは打ち上げとかでやってるんじゃないですか?
川中:僕は、うまくいかないときの議論の時に、自ずとふりかえりが起こっていると思うけどね。「なんでうまくいかないのか?」というのを考え続けるから。
小林:そういう意味では僕らがクラスで1位を取れなかった時は、打ち上げがそのままふりかえりになっていたと思いますね。「審査員、わかってねーよ!」という話から、「1位を取りにいくにはどういうことが必要か」って話にもなってました。
川中:それを「ふりかえり」と呼ばなくても、本気になってやる場面をつくれば、自ずとふりかえりが行われると思いますけどね。
鈴木:確かにそうですね。
三浦:今回の研修だったら、プログラムの工夫次第では、ふりかえりの時間を設ける必要はないかもしれないですね。
川中:確かにそうですね。そうなったら、それは面白いですね(笑)。


仮説をもった「きく」/相手に寄り添った「きく」


川中:話はがらっと変わるけれど、健ちゃんが以前、橋本久仁彦さん(カウンセラー/プレイバックシアタープロデュース)のミニカウンセリング講座のワークショップに参加した後、「いかに相手に寄り添って聴くか?」を大切にしたいという話をしていたよね。でも、それから半年くらいしてから「そういう聴きかたもいいけど、やっぱり自分は今、仮説を持って聴くということに力点を置いている」みたいなことを話していたよね。自分は参加体験はないんですが、友人から聞いていると、橋本さんのワークショップでは衝撃的な経験をすることが多く、そこで学ぶ他者との関わり方のスタイルで大きな影響を受けるようですが、健ちゃんはその価値を分かりながらも、やっぱり自分は「仮説を持って聴く質問が大事だ」という立場に立っている。それはどうしてなのかな?
小林:確信はありませんが、「仮説を持って聴く」聴きかたも、「相手に寄り添って聴く」聴き方も掘り下げていけばつながっているような気がしているんです。どうつながるのか、までは分からないですけど、このまま掘っていったらつながるような気がしているんです。
川中:ほぉ、なるほど。
小林:事実ベース、つまり自分の外側にあることについて話すときには、そのことについて、お互いが手応えのある状態にまで形づくるプロセスが必要だと思うんです。お互いが「一般的に考えてこうだよね」と言える状態に持っていかないと、手応えを持って話せない。一方、相手の内面にしかないものを扱う場合は、相手に寄り添って、確かめていくしかない。内面にあるものを扱うのか、外面にあるものを扱うのかの違いであって、手応えを確かめていく、という点では同じなんですよね。

三浦:なるほど。でも、自分の外側にあるものについて話す時も、結局は自分の内面でそれを感じているんじゃないの?
小林:話そうとしている対象が、「お互いの真ん中にある」のか、それとも「相手の中にしか存在しないもの」なのかという違いですね。例えば、「人生における大きなハードルがある」という言葉があるとしたら、それを言った本人にしかそのハードルのイメージはわからない。僕らは、一般的な陸上競技用のハードルを思い浮かべますけど、本人にとってはそんな形だとは限らなくて、断崖絶壁のイメージかもしれない。その人自身のイメージの中では、色んな情報が含まれている言葉なんだけど、外の人からしたら相手の現在のエネルギーに寄り添うことしかできないと思うんです。それをすることが唯一、相手の存在に近づけることだと思うんですね。だから、「ファシリテーションって何なんだ」っていう概念に接近するときには、それ自体は相手と自分の真ん中にあるので。色々と手応えを確かめながら仮説をもって聴いていくことになると思うんですよね。
三浦:さっきの話の中の、「相手の中だけにあるもの」と「相手と自分との間にあるもの」は、僕にとっては別物とは感じなかったけれど。
小林:「手応えを持って感じる」と言ったとき、その手の先には相手の内面があって、結局は自分の外面を通じて相手の内面に入っていく。そういう意味で、つながっているという感覚ですね。


言葉を越えた「身体感覚」


小林:今、ダンスとプレイバック・シアターっていう講座(補足:ミニカウンセリング講座では人の内面や存在に言語で近づいていくのですが、こちらの講座は、身体感覚から自分や他者の存在に近づいていくワークショップ、だと理解しています、、。関係者の方々、間違っていたらすいません、、。(小林))に行っているんです。
三浦:へーっ。
小林:さっき言っていたミニカウンセリング講座では言語から入っていくんです。でも、他の人と同じポーズをとってみることでわかる、その人の身体感覚みたいなものって、あると思うんですよね。
三浦:おもしろいね。(笑)
小林:例えば、多動症の子を持つお母さんとかが、それまで自分の子どもが全く理解できない世界に住んでいるかのような感覚だったのが、同じようにその子の動きを真似してみることで、いらいらしなくなったりすることもあるそうなんです。

三浦:僕もすごく影響を受けた、竹内敏晴さんという演出家の人がよく引用している 話があるんです。『ユング自伝』の中で、アフリカ旅行に同行した黒人達の「マネする能力」が凄いっていうんです。正確に相手のマネをすることで、相手の気持ちを理解してしまうという。竹内さんはそれを「見て取る(見取る)」「共振するからだ」「一緒に変化してゆけるからだ」と表現されています。僕は個人的な造語で「体感情報」って言っているんだけど、そういった言語的な情報だけではわからない、伝えてもわからない領域はあるな、と思う。



(ワーク中の三浦さん)


小林:それは去年、シチズンシップ共育企画が主催している「生と死の共育ワークショップ」でゲストの秋田光彦さん(大蓮寺・應典院住職)が、ワークショップの最後にみなさんに問いかけられたことにもつながりますよね。
川中:そうだね。去年の「生と死の共育ワークショップ」では、「自分のお葬式はどうあげられたいか?」をテーマに2日間ずっと「語り」という形で死というものに向き合っていたんです。でも、会場として使わせていただいている應典院というお寺では、演劇や詩の朗読などのパフォーマンスという形で、直接/間接にそうした問いに接近している人が大勢おられます。言葉で接近してみることもアプローチのひとつだけれど、体を動かして表現してみること、パフォーマンスをしてみることによって接近する時間も必要ではないか、という問いかけを秋田さんからいただいたわけです。なので、今年の「生と死の共育ワークショップ」は「<老い>を表現する。(http://homepage2.nifty.com/citizenship/de0902.htm)」というテーマにして、演劇的手法も混ぜ合わせることにしました。
小林:お葬式の所作一つひとつをとっても、そういうもので「死」というものを表現したりすることもできる。だから、言葉だけで語りつくせるものではないというか。僕がダンスをしに行ってすごく感じるのは、古代の民族とかがいるような時代とか、アフリカとかの部族とかの儀式とかはこういう感覚だったんだろうなぁと。相手の動きや形をトレースしていったりすることで表現されるものって、ステージで表現するとすごくきれいで。その人らしい動きであればあるほど、きれいなんです。変にきれいに見せようとする方が違和感がある。その人らしい動きが出ているとき、美しいと思ってじーんときちゃったんですね。

鈴木:なるほど。僕自身にはそういった経験はないんですが、一郎さんにはあるんでしょうか?
三浦:僕が以前参加した、竹内さんのワークショップのプログラムの中に「出会いのレッスン」というのがあって、それが近いかな。3泊4日の合宿レッスンの最後のプログラムだったと思います。3日間でゆったりとからだをほぐして、最後に人と人が一対一で向き合い感じるままに動くっていう時間なんだけど、たまたま僕は対人緊張の強い人がペアになった、レッスンが始って数分後時、その人は体が震えていたんですね。すると、僕は緊張はしてないつもりだったけどその人の姿を見ていると僕の体もなぜか震えてきて。結局、その人が近づいて来てくれて手を握られ時にへなへなと脱力して、その場に座り込んでしまったりしたことがあったんです。そう考えると、「自分がこうしたい」とか以前に、意思とは違うところに何かあるんだろうなと。
小林:そんなこともあるんですねぇ。
三浦:岩美自然学校での不登校児対象のキャンプのとき、ある参加者の高校生の女の子が宿舎の2階で泣いていたことがあって。すると、1階にいた地元漁師町育ちの高校生ボランティア男の子が、上で泣いている子のことを感じて泣いているわけ。「どうして泣くの?」って聞いたら、「なんで泣いてるのかはわからんけど、なんか共鳴する。」って言うんですね。僕だったら、泣く理由を聞いて、理解してから自分も泣くっていうことはあっても、どうして泣いているかわからない子に共鳴して泣きはしないなと。目の前にいる人ならともかくとしても、2階にいて姿も見えていない、聞こえてくるのは泣き声だけ。けれどあの人が泣いてるから私も泣いてしまう、という。そんなからだのありように関心がありますね、というかそのようなからだを取り戻したい。


今後、つくっていきたい場


川中:話は色々と広がっていくばかりですが、そろそろ最後の問いに。それぞれ、今後どんな場をつくっていきたいですか?
三浦:僕は教師を目指しているので、学校教育の中で、その人自身の教育観を問うていけるような場をつくりたいと思っています。生徒同士でも教員同士でも、その人の人格そのものに触れていくこと、というのかな。教師自身の人間観をお互いに問うていくような、そんな場をつくれたら、と思いますね。
鈴木:健司さんはどうでしょう?
小林:今、一番やりたいのは、子ども向けのキャンプでダンスをやってみたいですね。ある人がポーズを取って、それを別の人がトレースしてみて、それを続けていく。その人の存在から出る美しさというか、その人の存在すべてを肯定的に捉えている空間ができると思うんです。僕はそれをステージ上で見てすごく美しいと思ったので、キャンプファイヤーの前とかで、そういうのをやってみたら、めちゃめちゃきれいに見えると思うんです。
鈴木:なるほど、すごく具体的ですね。
小林:それって、子どもにとって原体験になると思うんです。こんなに自分自身の存在を認めてもらえることってあるんだ、という経験をちゃんと刻んでいくというか。今の世の中ってそういう機会は少ない気がしますしね。
鈴木:そう言えば、前回の川中さんとの対談で挙がった美作大学の「ボランティア論」のレポートを読んでいたんです。そこに「自分はこれでいいんだ」という感覚を得られる場ってなかったという経験をつづっている子もいたんです。ダンスとは違いますが、そういう経験を得る場というのは、少ないのかもしれませんね。
小林:そうだね。
鈴木:お二人の話を聞いていて思ったんですが、今回は「ファシリテーター」という言葉がほとんど出てきませんでした。しかし、ファシリテーターとして場に立つ・立たないに関わらず、自分の感覚とか大事にしたいことを持って人と関わってらっしゃるな、と強く感じました。生き様が出る、という感じでしょうか。
小林:その場に居る人が大切にされる、という意味では、ファシリテーションという言葉につながるのかも知れませんね。
鈴木:そう考えると、前回、川中さんが言っていたように、「機能としてファシリテーションというものが表出してきている」というのは、そこですよね。そういったことを大事にしていった結果、ある特定の場面や関係性の中で、気づいたらファシリテーターという役割を果たしている、というかね。
三浦:「ファシリテーションという機能」という形で敢えて切り取って考えることで色んな場面に適用したりしやすくはなりますね。
鈴木:確かにそうですね。ただ、それが変な切り取られ方をすると、見えなくなるというのはありますが。
小林:単に「意見をまとめるために」みたいに切り取られるのとは、やっぱり違いますよね。
鈴木:そうですね。今のような話につながる、中級・上級になるといいですね。
お三方、今日はどうもありがとうございました!

※竹内敏晴さんは去る2009年9月7日ご逝去なされました。ご冥福を心からお祈りします。 シチズンシップ共育企画一同

(おわり)

vol.5 小林健司さん・三浦一郎さん(1)


こんにちは。
シチズンシップ共育企画・鈴木です。

時間の流れは早いもので、教育ファシリテーター講座からすでに1ヶ月!が経ちました。
ゲストインタビュー、次の組み合わせは小林健司さんと三浦一郎さんです。

学校と企業をつなぐ、言わば間接的な場作りに関わる小林さん。
「本音」のぶつかりを大切にする三浦さん。
それぞれのキャラクターが色濃く出た対談です。
お楽しみください!



普段のお二人の活動・お仕事は?



鈴木:今日はよろしくお願いします。ではまず、お二人が普段どんなことをされているか、からお話いただけますか?
三浦:普段は兵庫教育大学で大学院生をしています。学校以外では、シチズンシップ共育企画の運営委員をしたり、別の分野だったら野外での冒険教育のインストラクターをしています。
鈴木:以前から聞きたかったので、冒険教育のインストラクターについて、詳しく教えてもらえますか?
三浦:5年前日本アウトワードバウンドスクール(http://www.obs-japan.org/)で2ヶ月の冒険教育の指導者養成のトレーニングを受けました。今は同じく冒険教育を専門としているアウトドアエデュケーションセンター(OEC)(http://www.o-ec.co.jp/)というところで、非常勤のインストラクターをしています。
鈴木:インストラクターの仕事は、頻繁にされるんでしょうか。
三浦:時期によるけど、新入社員研修の集中する4月の時期は約1ヶ月間行ったりしますね。夏は子供向けのプログラムで兵庫縦断、丹後半島一周キャンプなどを担当しています。
鈴木:すると今、一郎さんが持っているファシリテーションの「現場」というと野外教育の場になるんでしょうか。
三浦:今は教育大学の学生で学校現場に近いから、「どうやって学校教育と参加型の学びと折り合いをつけてやっていくか」に意識が向いているけど、「現場」という意味では野外教育かな。
鈴木:健司さんは、普段どういうことをされているんですか?
小林:NPO法人JAE[日本教育開発協会](http://www.jae.or.jp/)で働いています。将来や仕事について学ぶ教育プログラムを、学校や地域、企業など、いろんな場所でやっています。
鈴木:その中で特に健司さんは、どんな役割を担っているんですか?
小林:僕は教育プログラムの設計をしたり、ニーズを把握したりするような仕事をしていますね。うちの場合は企業からお金を頂いて事業化しているので、企業・学校双方のニーズに見合ったマッチングをしていたりしています。
三浦:企業側からすると、社会貢献的な意味があったり、社員研修的な意味があったりするのかな。
小林:そうですね。多くの人にとって「自分の仕事が何たるか」とか「自分の会社そのもの」について説明する機会は多くありません。そういった意味で社員の方が自分の仕事について見つめ直したりする機会にもなっています。
鈴木:学校の生徒に向けた授業の進行などはしないんですか?
小林:授業は社員さんか先生がなされるので、僕らが中心になってすることはほとんどありません。
三浦:どうして?
小林:必要があれば入ることはあります。でも学校の先生が一番クラスの流れとかを把握しているし、生徒との関係性も深い。僕らが入っていくよりもファシリテイティブにできることは多いと思うんです。いわゆる学習意欲の高い人が集まったりするような場とは少し違うし、1年単位で関わり続けるという点では、数日で終わるワークショップのファシリテーションとは少し違っている気がします。
鈴木:JAEさんの授業が終わった後も先生と生徒の関係は続くわけですよね。そこを考慮したうえで先生や生徒とも関わると。
小林:そうですね。だから僕らだけで進行するのではなく、先生方にも行ってもらうのです。
鈴木:確かに、ちょっとだけ顔を出して後はさよなら、っていうのもあまりよくないですね。
小林:そう。僕たちが入った授業を先生がその後どう活かしていくのか、とかね。これは今向き合っている課題でもあるんですが。
川中:一つ気になるのは、先生が普段からオープンだったら、子ども達もその場を違和感なく受け取れると思う。でも普段は「俺に従え」みたいな先生がいきなりファシリテイティブに振舞ったりすると、違和感が出るのでは?と思うんです。生徒がうまくその関係性に乗れなかった場合、しんどくなってしまうこともあるのでは、と思うんだけど。
小林:その場合、社員さんがその関係性を崩していく役割ですね。あとは僕らがアイスブレイク的な役割を担ったりする中で、生徒の「あ、今回はこういう感じの授業なんだなぁ」という切替えをしていく工夫はしています。
川中:その辺はきちっと規範をつくるわけですね。
小林:そうですね。あとは、「この時間は企画シートやポスターができている状態まで」という目標だけ伝えておいて、あとは先生が自由にやってください、というやりかたを取っています。
鈴木:そこは先生に任せるんですね。
小林:そうですねー。やはり、僕たちがずっと毎回行くのは難しい。それに、先生がホームルームや自分の授業の時間を使ったりすることもあります。だから「今回は仕事について考えてほしい」というような大まかな目的意識は共有しておいて、先生にお任せしているんです。先生のほうが授業においてはプロなんで。



学校と企業をつなぐ際に求められること



三浦:ここまで聞いていて、今のような「間接的な場作り」においてどういうことを大切にしているかが気になるんですが。
小林:「学校としてはこれをして欲しい」「企業としては こういうことがしたい」「JAEとしてはこれは達成したい」というそれぞれのニーズをお互いに認識して、それらが達成さるかどうかが、最終的な満足に関わってくる。なので、「あいつらだけが勝手にやっただけじゃないか」と思ってしまわないように、それぞれのニーズを事前に把握するということでしょうか。
鈴木:なるほど。今のお話につながるエピソードって、何かありますか?
小林:一番最初に担当した授業がそうかなぁ。当時担当されていた先生は力のある方で、「最初にこれを見せて、途中でこう盛り上がって…」みたいな授業の全体イメージがすべて描けていたんです。でも、一方の企業側からしたら用意した道具とか教材を「せっかくだからこれも見せたいし、あれも見せたいし…」となってしまう。予定では初回に終わるはずだった教材を、2回目の授業でまた使う、みたいなことがありました。僕としては、良かれと思ってやっているからいいと思いましたが、限られた時間の中である程度のことをやろうとすると、先生の言うことももっともでしたね。でも先生からしたら「それは初回で終わったんだから、今は考えることに集中させてくれ」と。あのときは本当にどうしていいかわからず、今でも学校や企業に対して、何よりそのときの生徒さんたちに申し訳ないことをしたな、と思っています。
三浦:そういう経験を、今になって健ちゃん自身はどう捉えているんでしょう? ぜひ聞きたい。



小林健司さん)


小林:やっぱり3者それぞれに言い分があるわけで、それを結局僕が聞いて、ショックを吸収する素材みたいになってしまっていた。3者の間でそれぞれの達成したいことを共有していれば、と思いますね。
鈴木:間に一枚入ってしまったから伝わりにくかったのではないかと。
小林:そうだね。あんまりお互いの求めていることまで突っ込んで話ができたというよりは、こういう授業ができたらいいよね、というイメージの統一くらいしかできていなかった。
川中:プログラムは共有しているけど、ゴールの共有は曖昧だった、という感じかな。
三浦:異質なもの同士が関わるとき、「クッションとして入るほうがうまくいく」というほうが一般的なイメージだと思うんだけど、「クッションになってしまったからうまくいかない」というのは、どういうことでしょう?
小林:さっきの例だと、JAEがいなかったら実現しなかったという意味では「出会いのきっかけをつくる人」なんです。そして出会った後、それをいいものにしようと思ったときに、衝撃を吸収して調整してしまってはだめなんですよね。
川中:きちんとぶつかる必要がある、と。
小林:そうですね。例えば、その時と同じ企業と一緒に、別の学校で今年授業をやったんですが、めちゃめちゃうまくいったんです。「またお願いします」という声が上がったくらいで。
鈴木:何か工夫されたんですか?
小林:まず、先生の方で事前に授業の目的を共有してもらいました。「今回の目的は何ですか?」というテーマでフリップを書いてもらって、「私はこういう目的でやりたい」というものを先生の間で共有していただき、「ここ共通しますね」みたいな話をしたりしました。社員さんの方でも「自分たちの会社とはこういうもので、この商品がそれを象徴している」みたいな話をしてもらったりしました。すると「うちとしてはこれが伝わればいい」というのがはっきりするんです。ですが、「学校としてはそこまで大きなことは求めていない。単純に仕事について考えてくれたらいい。欲を言えば、その学びが勉強につながれば…」というようなことが学校から返ってくることもある。これが伝わるだけでぜんぜん違う。
鈴木:そのように先生の意見を整理したり、社員さんが整理したり、それを組み合わせたりする中で、「この場面が特に大事!」というポイントはどこにあるんでしょう?
小林:それぞれの意見を出会わせるときに、温度感が伝わらなかったという失敗はあります。学校側でせっかく紙をつかったりして出し合った意見を、僕がパソコンを使って資料にまとめてしまったりすると、ぜんぜんその温度感が伝わらないんですね。
川中:なるほど、生の言葉をパソコンの言葉に変えてしまうと温度感が伝わらないのかぁ。
三浦:では、先生も社員さんも全員が、面と向かって意見を出す機会が必要、ということ?
小林:それは時間的に難しいので、書いたフリップをそのまま次の会議に持っていくんです。(笑)
鈴木:なるほど!
三浦:おもしろい!テクニカルだけど、本質的。
小林:フリップを持って行くことで文字の大きさとか、色とか…
川中:空気感が伝わるね。
鈴木:やっぱりフリップの力って大きいんでしょうか。
小林:大きいと思う。人によっては絵とかを入れたりするから、余計に文字に起こしてしまうと落としてしまう情報が多くて。

三浦:クッションの役割を果たしていたところからガチンコで2者をぶつけていくようになる中で、場の臨み方がどう変化したのかをぜひ聞きたいなぁ。
小林:その変化はあるかもしれません。こちらから企業さんに対して、あえて若手の人を使って研修の一環としてやりましょうと提案したりしていますが、僕たちから直接言いにくいケースもありますからね。
川中:今の話を踏まえると、JAEで健ちゃんが担っているのは、「コミュニケーションの回路をデザインし続けている」というイメージじゃないかな。事前にこうしたらうまくいくと決めつけた場の臨み方を持っているというよりも、企業の話と学校の話を「こういうふうにしたらうまくつながるし、こうしたらうまくつながらない」という試行錯誤をうまくやっているという感じかな。
小林:そうかもしれません。そこにキャスティングも関係してきますね。この企業に対してはこの先生は合うだろうな、とかその逆とかも考慮したりします。
三浦:それって、うまくいかないだろうなという組み合わせの場合は、おかしな話だけど「出会わせない」ということ?
小林:授業をする、という意味では出会わせないですね。
三浦:なんでもガチンコで出会えばいい、というものでもないのかな?
小林:うーん。出会わせないというのも変ですけど、この学校ではなく他の学校でやったほうが幸せかもしれないという感じですかね。1年のうちそう何回も機会があるわけではないので、限られた時間の中で、いい出会いをどうつくるかはすごく課題だと思っています。
川中:まさにコーディネートですね。


「ちがい」が生み出すおもしろさ


鈴木:話は変わるんですが、一郎さんの質問に「本音」とか「本気」といったキーワードが多く出てきたように思うんです。一郎さんがファシリテーションはもちろん普段の人との関わり方の中で大切にしているものが「本音」といった言葉なのかと思ったんですが、どうなんでしょうか。
三浦:確かにそう言われると私が普段お世話になっているOECの「本気」「本音」「本物」という教育コンセプトに多大な影響を受けているような気がします。。ただ僕はいつでも本気なのかと問われればそうでないときもあります…(苦笑)ただし「本音」という部分にこだわりはあるかな。
鈴木:「本音」のどういった部分にこだわりが?
三浦:だって本音じゃないと気持ち悪くないですか?(笑)
鈴木:確かに、本音を隠されてコミュニケーションしている、というのが伝わってしまうと気持ちが悪い、という感覚はありますが・・・。
三浦:僕は、本音であればあるほど人と違っていくから面白いと思う。違いが際立つ。
川中:おおー、なるほど。それ面白いね。
鈴木:本音を隠してしまうと、違いが見えない。
三浦:さっきの健ちゃんの例だったら、クッションがあると先生と社員さんの違いが際立ちにくくなる。それが関わり方を変えると、ガチンコになってそれぞれの思いの違いが際立ったからこそ逆にうまくいくみたいな話が、おもしろい。
小林:本音であるほど違いが際立つ、というのはおもしろいですね。
三浦:例えば会議のときも、本音でぶつかると「ざらつく」やん。明らかにイラっとした顔している人がいたり、すごく気になる。そういうこと自体がコミュニケーションの回路の入り口になると思う。
鈴木:ざらつく、と言うと?
三浦:自分の思い通りにならなかったり、機嫌悪くなったり、腹立てたり、相手の様子に反応するじゃない?プライベートで恐縮だけど、結婚してからはしょっちゅう互いに「ざらついて」います(笑)。でもだからこそ、毎日が新鮮だと感じる。毎日出会っているような感じがします。



三浦一郎さん)


小林:一郎さんの中で、そういった違いが際立つことでそれぞれが光っていくことを発見した瞬間などはあったんですか?これまでに経験したキャンプであるとか…
三浦:色んな場面があったけど、小さいころのことだと、クラスに何人か変わった子っていなかった?そういう子に当時からめっちゃ惹かれていて。ちょっと周囲から浮いてた子とか、相手にされなかったり子とか。でもその子がどうして周りと違うのか、に僕にはとても興味があった。
小林:でもそれは、10人が10人、そうは捉えないかもしれないですね。
三浦:どういう風に捉えるの?
小林:あーなんか変やなぁ、自分と違うなぁ、と。
川中:楽しむというよりは、距離を置くというか。
鈴木:違いには気づくけど、そこに積極的に関心がいかなかったりします。
三浦:僕はそんなとき、今ここで起こっている、この関心の差は何なのか、っていうのを考えるのが好きやねん。
川中:学生時代一緒に活動していたBrainHumanity(http://www.brainhumanity.or.jp/)に一郎が入ってきたとき、「質問する力が強い」という部分でぐっと彼に注目が集まったことがあったわけ。皆だったらスルーしてしまうところに対して質問する。「人間」に対する関心が強いなと。言っていることがらについての質問ではなく、なぜ「その人が」そういうことを言うのか?という部分に質問することが多くて。そういう質問は核心をつくことが多い。一郎のファシリのらしさはそこだと思っていて。質問するときのセンスは面白いことが多いね。
三浦:ファシリテーションとかって、その人の人間観とか、それまでの人生観とかが現れる。だから興味があるね。
鈴木:人に対する好奇心が強い、という気がしますね。

三浦:中高6年間寮生活で、思春期の頃に人と一緒に住まざるを得ない環境だったから、けんかもいじめもあった。「何でお前そういうことすんねん」というのを理解しようと思うと、その人の生い立ちとかをたどっていかないと、表面的に分かっていることだけでは腑に落ちなかったり納得いかなかったりする。その人が影響を受けた人とか、本とか、親とかをたどっていかざるを得ないんだよね。
鈴木:「なんでやねん!」となった時、それを追求していくか、手を引いてしまうのかが分かれ道だと思いますね。僕も今まであきらめてしまう場面が多かったので…。
川中:「もういいや」と思って他の人と仲良くなって、その人を意識しないことも不可能ではない。「しんどい」から関わらずに、楽をしたいと思う人も多いと思うんだよね。
三浦:そこに居るのに居ないことにしてたら、逆に「しんどく」感じます。
小林:それはやっぱり一郎さんの資質、という感じがしますね。どれだけ違いを楽しめるかって、相手を理解しようとするエネルギーを燃やし続けられるかどうか、という部分に現れる気がする。どうしても、もうこれくらいの距離を取ろう、みたいなものを見出しますもん。
三浦:そのまま何もせずいたらそう思うかもしれないけど、色々聞いてみると「えーっ!そんな過去持ってたん?」みたいに自分の中で相手の「キャラが立ってくる」やん。「オレ、こんないっぱいのキャラに囲まれてる!」みたいな。
小林:すごいなぁ。(笑)
鈴木:はぁ、なるほど!
川中:ライフヒストリーにすごく関心を持つよね。人の歴史とか、出会いのきっかけとか。
小林:その人の、動機もそうですよね。
川中:だとすると、自分自身を形作っているものとか歴史にも関心があるのかな?
三浦:もちろん、ありますよ。
川中:なんでそう思うようになったの?
三浦:それはわからへんなぁ。
小林:そこはわからないんだ。(笑)逆にそこがすごく気になりますよ、僕らにとっては!

(Vol.2へ続く)